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神社名
霻霳神社

御祭神
八雷神

例祭日
4月20日
9月18日

鎮座地
021-0814
一関市字北豊隆60番地

連絡先
0191-23-2906

由緒
 宝龍権現 地名宝龍。二関兵庫なる者の宅地の鎮守なりと云ふ。其の子孫藩の士臣に列す。即ち今の二関氏なり。按ずるに落雷の地にして即ち雷師豊隆なるか。別当下黒沢三学院。按ずるに二関邑は三学院の檀越なり。俗にこれを霞と称す。蓋し大峯に霞と称す。羽黒に旦那場と称するのよし。修験道の制なりと云う。
 天正十二年八月(1584)葛西の家臣二関兵庫勧請。
 豊隆権現社を明治維新、豊隆神社と書き改めたものである。昭和二年旧八月二十一日、石殿を保護するため木造社殿を新築した。かたわらに貞享四年(1687)の雷神供養塔がある。
 昭和四十二年、社殿の一部を改修する。

豊隆太鼓
 神社の社殿が改修されたのを契機に、ふるさとの杜に何かしら印象強い独特の芸能を残したいという気運が高まり、雨乞いの古い伝承から太鼓の音律によってお祭りの気分を盛り上げてみようということになり、「豊隆太鼓」が誕生。
 宝龍権現の出現によって、先ず風が起こり一天にわかにかき曇り、大粒の雨がバラバラと降ってきて地面を潤し、やがて閃光と共に、陰陽の雷神が突如として降下し、雷鳴を轟かして乱舞し、憤怒の形相ものすごく、沛然たる雨を呼び、天地を雷鳴と豪雨で包み、最後の落雷によって天地快明の平和な現実の姿になるという様子を表現する。