hikami

神社名
氷上神社

御祭神
衣太手神(きぬたてのかみ)
登奈孝志神(となこしのかみ)
理訓許段神(りくこたのかみ)

例祭日
5月11日

鎮座地
〒029-2205
陸前高田市高田町字西和野83番地

連絡先
TEL 0192-55-5053

由緒
 延喜式内三社・国史所載社・気仙総鎮守 勅宣正一位氷上三社。
 いつの祭祀か詳かではないが、上古よりの祭祀と伝えられている。気仙に官が設置以前より三峰に三社鎮座せられ、往古より郷民氷上山を信仰の聖地とし、三峰を霊峰と称えて尊崇した。衣太手神社(東御殿)、登奈孝志神社(中御殿)、理訓許段神社(西御殿)三宮を総称し氷上三社と称す。古記によると、氷上山はお山と称し山名を称さなかった。気仙郡に官を置くに当たり、始めて気仙山と名づけ、後に日の上山と改めた。暁光七彩の雲間より旭昇天を拝しての尊称と思われる。
 又、往古より山頂野火多く発生したが、三社付近で自然に消滅した。かくて火伏の神徳垂れしものとして、日の神・火の神の音相通ずる『火の上』と改めたとも言われている。以後の主な由緒を次に列挙する。
 1、後光明帝正保元年(1065)村上織部道慶氷上三社別当神主熊谷修理に託し、又三社に誓約して辞世の和歌を詠じ、泰然として自ら頸を刎ね、首体の流るること其の言の如く、両邑漁民唖然として和解す。義民道慶と称え、川の神として祭る。辞  世の歌
  誠あれやこの身すてて行水の瀬は渕となる末の世までも
  濁りなき名に負ふ水のあわれ知れ世の仇波に浮き沈む身を
 1、中御門帝亨保8年(1723)春、陸奥守伊達吉村卿領内巡視の折り、雨降り雨続き
夜となり進退極まった。高田・今泉郷民集まり氷上山の社に願を掛け、如意山金剛寺に安泰を祈念した。不思議忽ち雨止み、卿御神徳の深さに感じ、和歌二首を詠じ、当社に奉納す。
  あま雲の空にぞ晴るる名にたかき日のかみ山の恵しられて
  夜の程の雨さへ晴れて祈りにし民の心やすゑとをりけん
 1、文化12年(1815)12月10日神階位最高勅宣正一位気仙総鎮守氷上神社大明神を授けられる。
  1、明治5年郷社に列せられ、気仙総鎮守として、郡門一円を崇敬者と定められた。

神名の解説

衣太手神(きぬたてのかみ)
・・・アイヌ語で「森の中に鎮座の神」

登奈孝志神(となこしのかみ)
・・・アイヌ語で「沼を越えた彼方の神」

理訓許段神(りくこたのかみ)
・・・アイヌ語で「丘にある村の神」