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神社名
盛岡八幡宮

御祭神
品陀和気命

例祭日
9月15日

鎮座地
〒020-0872
 盛岡市八幡町13番1号

連絡先
TEL 019-652-5211
FAX 019-652-5212

由緒
康平5年(1062)前9年の役に際し、陸奥鎮守府将軍源頼義・義家父子が、奥州阿倍一族(貞任・宗任)平定のため、山城国男山八幡大神を不来方の丘陵の地(現盛岡城跡公園)に御勧請、必勝武運を祈願したのが創祀と伝えられ、後世鳩森八幡社と奉称した。
 その後、源頼朝公の義経追討に関わる奥州平定に際し、南部の荘(山梨県)より参陣した初代南部光行公は大いに軍功をたて、糖部五郡を拝領し三戸に居城、八幡大明神を祀った。(現八戸市鎮座の櫛引八幡宮)
 南部氏は清和源氏の末裔で、先祖代々八幡大神を氏神と仰ぎ崇敬の念篤く、南部第26代信直公が起こした不来方城築城に際し、既に鎮座していた鳩森八幡社をそのまま城内に祀り、領内鎮護の神と斎祀ったのである。しかし、そのために一般庶民の参詣はできなかった。
 寛文11年(1671)2月、第29代重信公は、志家の地(現在地)に、新八幡宮造営の工を起し、延宝8年(1680)完成、翌9年8月14日より3日間盛大なる新八幡宮鎮祭の重儀が行われた。
 爾来、新八幡宮藩主、下は一般庶民の限りない崇敬を集めて、地方の大社の威厳を風靡してきたのである。
 明治維新になり、盛岡城はその主を失い陸軍省の所管となり、御本社の鳩森八幡社は遂に祭祀執行の途が無くなり、明治5年(1872)10月、御霊代を新八幡宮に鎮座されるに至った。
 明治9年(1876)7月、明治天皇の東北御巡幸に際し、産馬御奨励の思召しにより神域の流鏑馬馬場において南部駒天覧の栄に輝き、社務所御座敷で御小憩になり、新緑につつまれた神域を御観賞された。
 現在は、平成の大御代を記念して、平成9年(1997)12月丹塗り極彩色彫刻が施された新大社殿が竣工されて境内が一新し、新たな盛岡の顔として四季の景観に映える堂々たる風格を漂わせ、県下第一の大社として崇敬を集めている。